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「クラシックピアノを30才過ぎてから習いにいって、それでmouse on the keysになったんです。」(川崎)


OY:川崎さんは90年代後半nine days wonderというバンドでドラムを叩いていました。その流れからmouse on the keysというピアノが前面にでるバンドに変わっていったのは。

川崎:nine days wonderが始まったのは今から18年くらい前で、ドラムを叩いていたんですけど、その頃は人に習うのがイヤで独学でずっとやっていたんです。でもそこで壁にぶちあたってドラムレッスンを受けるようになって、そこであった出会い以降、自己啓発することが自分の助けになることに気づいて、クラシックピアノを30才過ぎてから習いにいって、それでmouse on the keysになったんです。

OY:そうなんですか!そこで習いに行ったのがクラシックピアノっていうのはどうして?

川崎:ドラムを20代の時に習っていたので譜面は読めますし、mouse on the keysをはじめる前からピアノとドラムで、ハードコアからポストロックの流れのビートと現代音楽の和音の感じを混ぜて、デトロイトテクノのフォロワーの人たちの感覚でミックスするっていうのをやりたかった。それでクラシックピアノを習いに行ったんです。

OY:クラシックを自分で選んだんですね。ジャズではなく。

川崎:そう、選んだんです。ジャズよりも現代音楽の方が好きだったしバッハも好きだし。親がバッハを爆音でかけるような家で育ったので、どう弾いているのかはわからないけど曲はよく知ってるんです。巷ではmouse on the keysはよくジャズだとか言われますけどね。

OY:いや、ジャズではないですよ。クラシックの要素をmouse on the keysからは感じますし、例えばクオンタイズされたフレージングや対位的なリズムの配置はバッハ的だなと思います。

川崎:そうですね。他にもドビュッシーとかラヴェルとかサティとか近代ものも好きで、この辺りになるとジャズの要素も入ってきてるから、そういうアプローチをするとどうしてもジャズっていう目で見られがちなんだけど、そこはあくまでラヴェルを意識してるんです。家ではそういう音楽がよくかかっていたので、ある程度良質な音楽というのは小さい頃から刷り込まれていたんだと思います。あと、中学生の時ちょうどバンドブームで、みんなボウイとかのコピーをしてるときに、僕はキーボードマガジンを買って、TMネットワークや坂本龍一やスティービーワンダーがアイドル。ギターにあこがれる人たちが多い中、僕はキーボード弾きたいな、a-haの”take on me”弾きたいな、池田聡の”モノクロームヴィーナス”の出だしのピアノがかっこいいな、とか思っていて。

OY:クラシック嗜好やピアノというワードへつながる触媒としてキーボードマガジンっ子というのはわかりやすいですね。ドラムもそのころから並行してやっていたんですか?

川崎:ドラムもやっていたんですけど、コピーする対象がビースティーボーイズ。

OY:サンプリングじゃないですか。(笑)

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川崎:そう。ビースティーからボンゾってスゲー、っていう流れ(*BEASTIE BOYSの1st「LICENSE TO ILL」(1986)のオープニング “Rhymin & Stealin”)。そもそもサンプラーやキーボードありきなところから入っているんで、生演奏もするけれどクラブカルチャーとしてアレンジする双方向性が当たり前の中で育ってきた感じです。サンプリングしてループしてる感じが好きっていうのと同時に、Genesisの”Invisible Touch”(1986)や、それより少し前のフィルコリンズとフィリップベイリーの”EASY LOVER”(1984)のドラムのゲートリバーブ感も好きっていう。その頃はSONY MUSIC TVっていう洋楽のPVをバンバン流している番組があって、そこでThe PoliceやYesを見て、かっこいい!って夢中になってました。

OY:そのころのYesというと”ロンリー・ハート(Owner of a Lonely Heart)”(1983)。

川崎:そう、トレバー・ホーンの。あれ(オーケストラヒット)が大好きで。アート・オブ・ノイズ(*Yesのロンリー・ハートのプロデューサーのトレバー・ホーンのユニット)のサンプリング感がすごく好きで。

OY:フェアライト全開の時代ですね。

川崎:坂本龍一さんもフェアライト使ってますね。ちょうどそのころ父親から坂本龍一の「音楽図鑑」っていうアルバム渡されてこれを聴けって言われました。
 
OY:父親に「音楽図鑑」を聴けって言われるって、面白い。
 
川崎:父親からは「音楽図鑑」を聴けっていうのと同時に、大友克洋の「AKIRA」の1巻を渡されて、読めって。
 
OY:そこは「童夢」じゃないんですね。
 
川崎:「童夢」はあとから読みました。「AKIRA」は1巻が出たときにリアルタイムで父親が買ってきたんですよ。だから「AKIRA」をずーっと見ながら音楽図鑑を聴いてた。そのイメージがmouse on the keysにもつながってる。元をたどるとその後の坂本さんとビル・ラズウェルが共同プロデュースした「NEO GEO」っていうアルバムが大好きで、フレットレスベースでブーツィー・コリンズ的なフレーズが入ってきて沖縄民謡がのっかってるっているのを聴いて、ものすごいミックス感だ!って衝撃を受けた。

OY:「NEO GEO」にはIggy PopがVocalの曲もありました。

川崎:そう。これがミクスチャーだって。レッチリ(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)がミクスチャーだって言われてたけど、坂本(龍一)さんの方がミクスチャーじゃないかって思ってた。

OY:「NEO GEO」のころだとレッチリは「The Uplift Mofo Party Plan」をリリースして、ブレイク前夜ですね。

川崎:そうです。Funk色が強くて、その後、「Mother’s Milk」でメジャー感が出て、「Blood Sugar Sex Magic」でブレイク。ミクスチャーといえばレッチリっていう状況だったんですけど、何年も前に坂本龍一さんは「音楽図鑑」でミクスチャー作ってるし、日本には坂本龍一さんがいるって思ってました。

OY:その対立軸でミクスチャーを語るのははじめてききました。

川崎:NEW WAVE〜エレクトロ〜ワールドミュージック〜レアグルーヴなどがごちゃごちゃしてた時期に坂本さんのソロがあり、そのある種若者向けにパッケージング出来たものがレッチリだったんじゃないでしょうかね。レッチリが画期的だったのはBad brainsインスパイア系なところと僕は思ってますが。レッチリも大好きでしたけど、ミクスチャー音楽の原体験としては、坂本さんの方が強烈でした。と同時に、大友克洋さんの世界観、言葉じゃないビジュアルイメージがやばいな、と。

新留:そうとういい教育ですよね、お父さんから「音楽図鑑」と「AKIRA」渡されるって。
清田:川崎くんのお父さんって音楽好きなんですか?

川崎:父親は文化芸術が幅広く好きで、新しいものを知らないとイヤなタイプ。

OY:アーリーアダプターだ。

川崎:アーリーアダプターですね、完全に。そういったものが原体験としてあって、2006年に鍵盤のバンドをやりたいと思ったのもキーボードマガジン時代が今に続いているからで、その前にやっていたnine days wonderのドラムの感覚と、中学生のころに感じていた未来感をミックスしたいと思ったんですよ。

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